かとっぽ

   鯛ノ浦教会  (たいのうらきょうかい Tainoura Church)                       



鯛ノ浦教会  有川地区 新上五島町鯛ノ浦郷326
 上五島における布教の中心として明治14年(1881)に設立されました。現在図書館として利用されている旧聖堂は明治36年(1903)に完成した木造瓦葺きの建物の正面に、戦後すぐレンガ造りの鐘楼腰が増設されたものです。鐘楼外壁には被爆した浦上天主堂のレンガも使われています。

鯛ノ浦教会正面 左側の煉瓦造りは旧聖堂
鯛ノ浦教会
 明治13年(1880)パリ外国宣教会ブレル師によって、現在の希望の灯学園の前身である養育院が建てられ、翌14年(1881)地区信徒が待ち望んだ旧鯛ノ浦教会堂が建立された。その後明治36年(1903)クゼン師によって建て替えられ、さらに潮風のため、破損いちじるしく昭和54年(1979)不漁続きで不況の最中、信徒世帯当り80万円という巨額な拠出により現在のスマートな聖堂に建て替えられ、3月14日里脇大司教によって献堂された。
 明治3年の鯛ノ浦六人斬りで知られるように他の五島各地と同じように信徒の信仰は篤く、上五島を訪れる観光客、巡礼者を引きつける魅力を持っている鯛ノ浦教会は敷地内に聖地ルルドを設け、優しい慈愛の微笑みをたたえたマリア様を祀リ、毎年5月と10月にはルルドヘの信仰を深めている。美しい佇まいの旧聖堂の鐘楼は、原爆で崩壊した浦上天主堂の被爆レンガで造られており、現在、資料館として保存されている。この地域の信徒の信仰は篤く、上五島を訪れる観光客、巡礼者を引き付ける魅力を持っている。
略歴
慶応3年(1867 ) 2月 クーザン神父、鯛ノ浦から頭ケ島にて宣教
明治3年 鯛ノ浦六人斬り
明治13年(1880) ブレル師によって、養育院が建てられた
明治14年(1881) 旧鯛ノ浦教会堂が建立
明治36年(1903) 旧聖堂完成
昭和23年(1948) 煉瓦造りの鐘楼を造る  
昭和38年(1953)12月8日 フランスルルドのお水を注ぎ祝別式が行われた
昭和54年(1979)3月14日 現聖堂が献堂
昭和57年(1982)8月15日聖女ベルナデッタのひざまずき像が地元の婦人部会の寄贈によって安置
昭和60年(1982)12月 山麓に沸き水が発見、聖母出現の洞窟の下場に噴水

教会内部

旧聖堂正面

鯛ノ浦教会 ルルド全体

新しい教会(現在使用中の教会です)

訪問スタンプ   拡大

教会正面  拡大

教会側面  拡大

教会後方  拡大

守護者 聖家族の像  拡大

司祭館  拡大

鐘楼  拡大

トイレです  拡大

 祭壇

祭壇  拡大

左側 キリスト像  拡大

十字架のキリスト  拡大

右側 マリア像  拡大

新聖堂 内部全景  拡大

聖餐卓  拡大

聖体ランプ  拡大

 教会内部

告白室  拡大

十字架の道行き  拡大

聖水盤  拡大

オルガン  拡大

献金箱  拡大

正面入り口  拡大

 教会周辺

修道院  拡大

恵みの聖母像  拡大

希望の灯学園  拡大

ブレル神父像  拡大

つぼみ幼児園  拡大

墓地  拡大

中田秀和画伯の墓  拡大

六人切りの墓碑  拡大

阿瀬津別道バス停  拡大

 遠景

尖塔と海  拡大

海と尖塔  拡大

道路より望む  拡大

ルルド付近より  拡大
 旧聖堂 (現在は資料館になっています)

旧聖堂正面  拡大

側面全体  拡大

後方より  拡大

被爆レンガ  拡大

 
 旧聖堂・祭壇

祭壇  拡大

左 ヨゼフ像  拡大

右 マリア像  拡大

ステンドグラス  拡大
 旧聖堂・内部

内部全体  拡大

聖体ランプ  拡大

オルガン  拡大

天井裏  拡大

薔薇窓  拡大

  展示資料

展示資料  拡大

展示資料  拡大

展示資料  拡大

展示資料  拡大

踏み絵  拡大

オラショ  拡大

オラショ  拡大

掛け軸  拡大

踏絵説明  拡大

 鯛ノ浦ルルド

ルルド全体  拡大

ルルド  拡大

湧き水  拡大

マリアとベルナデッタ像  拡大

マリア像  拡大

ベルナデッタ像  拡大

一面に咲いたバラの花  拡大

バラの花  拡大

 顕彰碑・案内板

鯛ノ浦ルルドノ由来  拡大

フランスルルドノ由来  拡大

鷹巣キリシタン殉教の碑 拡大

ブレル氏海難殉教の碑 拡大

ヨハネ五島草庵殉教の碑  拡大

中田秀和画伯の像  拡大

森松次郎翁顕徳の碑  拡大