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踏絵
踏絵とは徳川幕府のキリンタ禁制下宗門改めの目的を以て一般庶民に跣足にて踏ましめた基督や聖母マリアなどの画像のことを言い、絵を踏むことを絵踏みと祢した。
踏絵は寛永5(1628)年、長崎奉行が信者探索の方法として用い始めたいわれるが、実際の記録があるのは寛永8(1631)年からである。絵踏を拒否し者は獄門に送られ激しい刑のあと多くは殉教した。
記録によれば当時仏教徒を装っていた潜伏キリンタンたちは、絵踏みを行った後に痛悔の祈りをなし、或いは聖像を踏んだ足を洗った水を飲んで罪の赦しを乞うたという。幕末に至り約230年間続いたこの制度は長崎では安政4(1857)年を最後に廃止されたが九州各藩では明治4年まで行われた。
こんにち保存されてにいる踏絵には板踏絵と真鍮踏絵の二種があり板踏絵は信者から没収したブロンズレリーフの聖像を板に嵌め込んだもので、真鍮踏絵は寛文9(1669)年長崎の鋳物師祐佐に命じて鋳造させたものである。現在、実物は東京国立博物館に板踏絵10枚、真鍮踏絵19枚が収蔵されており当時の名残りをとどめている。
〔踏絵作品紹介〕
その一 「無原罪の聖母」太陽を背に、頭上に七星をめぐらし弦月を踏んで立つ聖母像
その二 「荊冠のキリスト」「エッチェ・ホモ」この人を見よとも称されキリスが捕えられ縛られ鞭打たれ茨の冠をかぶ らせられる姿を描く。
その三 「ロザりオの聖母」幼児イエズスを抱く聖母マリアが聖ドミニコにロザリオを親授する図。
佐賀市巨勢修理田一二二二
フネ工房 舟 一朝 謹製 |
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