かとっぽ

   大曽教会  (おおそきょうかい Ohso Church)                     



大曽教会 上五島地区 新上五島町青方郷2151-2
 明治12年(1879)現在地の西方に木遥の天主堂を建立したことに始まり、大正4年(1915)に現在のレンガ造りの天主堂が完成しました。正面には八角形のドームを戴いた鐘塔が高くそびえ、色の異なる2種類のレンガを規則的に配置するなど壁面の意匠にも配慮、半円アーチの窓は美しいカーブを描き、西独製の花柄ステンドグラスも鮮やかです。世界遺産暫定リスト国内候補「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の構成資産に追加するよう協議がなされています。
大曽カトリック教会
 徳川幕府以来300年にも及ぶ"キリシタン禁教令"の最中、大村藩の外海地方での激しい迫害から信仰の自由を求めて五島へ渡ったカトリック信徒達は西暦1873年禁教札の撤去令から6年目西暦1879年大曽の裏迫に初の教会堂を建立した。現在の赤い聖堂は西暦1916年8月旬日献堂 西暦1951年4月15日大曽小教区設立鯛の浦小教区より独立。 現在青方小教区
    1979.10.3(大曽教会創設百年記念)

対岸・道路の上よりの正面
大曽教会
 最初の教会は明治12年(1879年)、現在の教会から少し西方に位置する小字浦迫に五島に逃れ信仰を守りつづけた信徒が信仰の証として建てた木造の教会であったが、大正4年(1915年)に若松町の土井ノ浦教会として移築された。今の煉瓦造りの教会は3年の月日を要して、大正5年(1916年)10月に竣工した。ステンドガラスは西ドイツ製で、煉瓦は早岐から仕入れた。設計施工は長崎県下に数多くの教会建築を残した郷土出身の鉄川与肋による。柱頭の彫刻は鉄川与肋の父与四郎による。 煉瓦造りの重層屋根構造であり内部は3廊式で、主廊部・側労部ともに漆喰仕上げ4分割リブ・ヴォールト(コウモリ)天井で造られている。正面中央部には八角形のドームを有する鐘塔が突出している。煉瓦の凸凹による装飾、色の異なる煉瓦を規則的に使用するなど、壁面の意匠化も工夫されている。
略歴
明治12年(1879) 大曽の裏迫に初の教会堂を建立
明治32年(1899) 10月3日 法人台帳による届出
大正4年(1915) 若松町の土井ノ浦教会として移築
大正5年(1916) 8月6日コンバス司教により祝別・献堂
昭和26年(1951) 4月15日大曽小教区設立鯛の浦小教区より独立

教会内部 リブ・ヴォールト(こうもり天井)のアーチが美しい

跡次教会付近よりの遠景 教会下は遠洋旋網船 (青方港は遠洋旋網の基地としても有名です)

訪問記念スタンプ  Photo

訪問記念スタンプ Love  Photo

対岸・道路の上よりの正面  Photo

正面入り口 煉瓦のアーチ  Photo

正面  Photo

正面のキリスト像  Photo

祭壇  Photo

祭壇上部のキリスト像  Photo

祭壇左側のヨゼフ  Photo

祭壇右側のキリストを抱いたマリア  Photo

2階よりの教会内部  Photo

リブボールト天井の教会内部  Photo

聖体ランプ  Photo

聖餐卓  Photo

聖餐卓と聖体拝領台  Photo

柱の土台と聖体拝領台  Photo

聖水盤  Photo

十字架の道行き  Photo

1階のオルガン  Photo

2階聖歌隊室のオルガン  Photo

内部の柱  Photo

祭壇側から後方(入り口)を望む  Photo

ステンドグラス  Photo

ステンドグラス  Photo

2階の薔薇窓  Photo

正面入り口上の百合の花とイバラに縛られた心臓  Photo

正面入り口上の百合の花とイバラに縛られた心臓  Photo

後方よりの全体  Photo

側面  Photo

天井裏  Photo

床下  Photo

司祭館前のマリア像  Photo

正面入り口と献金箱  Photo

信徒会館  Photo

司祭館  Photo

県の重文 青方のウメガシ  Photo

司祭間側より青方湾方面  Photo

教会正面下の大曽の港  Photo

跡次教会付近よりの遠景  Photo

漁協よりの石油備蓄基地と教会  Photo

教会から岩屋観音岳方面  Photo

教会より跡次  Photo

大曽バス停  Photo

教会案内板  Photo

教会案内板 (今はありません)  Photo