かとっぽ

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小河原郷と赤尾郷との間に黒崎という所がある。此所が郷の境にな

り峠になっているので、普通は黒崎峠といわれている。 この峠の

小河原寄りの中腹に大きな山桜が一本聳えていた。この桜の咲く頃

は他方から来た者もわざわざ見に行ったもので、かなり有名であっ

た。黒々とした雑木林の中に一際白く咲き誇っている様は、まるで

王様を見るようであった。 こんなりっばな桜を持つ黒崎峠にも魔

性のいたずらと云ぅか色んな話が伝わっていた。赤尾ん坪川君が青

年の仲間入りして間もない頃の出来事である。坪川君は無口で真面

目で女の子にもてる好青年であった。 或る日、黒崎峠の下の海岸

ぞいにある山さらえ(郷有の杉山の小枝落し)の仕事に、青年団員

として共同作業に出ていた。日暮方、団長が点呼を取ってみると坪

川君が居ない。一瞬全員に緊張が漲添った。 団長は全員を幾組か

に分けて団長自らも先頭に立って一斉に探し始めた。

ところが仲々見付からない。何十人といぅ青年がそれ

こそ、しらみつぶしに探しても分らない。 一部の組

が諦めて捜索を打切っていた所へ、薮の中から物の怪

に付かれた様な格好で坪川君が出て釆た。之を眺めた

青年達は吃驚すると同時にホッとし、安堵の胸を撫で

おろした。

早速「出て釆たぞ−ッ。」「居ったぞ−ッ。」と他の組員にも連呼

され、日暮れの山はざわめく中に明るさを取り戻した。或る者は、

あの処ほ俺が探したのに、又或る者は、あの方面は俺も確かに通っ

たと、放心状態の坪川君を伴って家路を急ぎながら、青年達はこも

ごも語り合うのであった。 正気に戻ってから、彼に問い正したと

ころ、「うまいものを食わする」と云って連れて行かれ、

何か食べさせられたという事らしいが果してそれは何であったか、

また場所も何処であったかは今日に至るまで本人も分らぬと云ぅか

ら他の者が知るよしもない、がその食べさせられたものは猪の乾い

た糞ではなかったろうか等と当時の口さがな弥次馬の話であった様

に記憶している。 こんな話は小河原にもある。すでに故人になっ

ておられるが、れっきとした「おんちゃ」だから、へ

っぱっぞな、とばかり片付けられない。 矢張り黒崎

峠に、びゃ−らを拾いに行った時の話である。朝から

出かけたのに仲々戻って来ない。どうなったものか日

暮れになっても戻らない。そこで家族の者が区長(今

の郷長)さんに相談に行った。区長さんは組頭を集めて相談し、郷

民に協力を求めて探すことになった。上組・下組・中組・浜組と四

班に分けて、山の中を八方隅なく探したが仲々見付からない。

上組の一人が探しあぐねて沖の方を挑めていたら、切り立った大岩

の陰に黒い小さな動くものが目に這入った。 あれは何だろう?ひ

ょっとしたら、あれが「おんちゃ」じやなかろうかと、近くの仲間

に話しかけ、大きな声で名前を呼んでみた。こちらから呼べは呼ぶ

程、薮の中へどんどん入って行き、振り向もしないで行ってしまっ

たとのことである。その歩きの早さには驚く程であったという。普

通の者は、ヘゴやイゲ蔓を払いのけねば歩けないのに、本人は平気

で、そんな処をバリバリ踏みくだいて歩き、かすり傷一つこしらえ

てなかったそうである。 本人が正気に戻ってからの話によると、

「よか所に連れて行くけん、うしろに付いて来い」と云うもんだか

ら付いた行った。と云われたそうであるが、その化身は果して何で

あったろうか、綺麗な婦人か、或いは厳しい天狗の類であったろう

か、おんちゃの口からは、その姿は語られなかった。 ただ一つ確

かなことは、このおんちゃは何も食べさせられなかったということ

である。 之を聞いて、ある老は胸をなでおろし、或る者はホッと

したそぅであるが、中にはどうせただなら、ご馳走を食べればよか

ったっに、と、茶々を入れるおどけ者もいたそうだ。この騒ぎがお

さまりかけた頃、誰云うとなく、この化身は黒崎とんぎの桜の主で

はあるまいか、との声に之を打ち消す人もなく、シーンと静まり返

ったとのことである。 

                         有川町郷土誌より