かとっぽ 

     カッパの川流れ  


 鎌倉時代から江戸時代における船崎村は、殿様から山の管理をまかされ

ていた代わりに、薪や木炭を年貢(税金)として納めるようになっていたそ

うだが、明治時代になってこの制度は廃止されている。

 その後の船崎の住民は、半農半漁の生活となったので、田植や麦刈り、

芋植え、野菜作りの合間には宮の下や横崎鼻や祝言島の海岸で海草を獲

ったり魚を釣って生活していたそうである。

 船崎で一番の魚釣りの名人であった熊吉は、その日も大漁であったので

「今日は青方のイトコ(親戚)である久吉の家に魚を持つと行って喜ばせて

やろう。」と思い、午後四時頃、青方へと向かった。

 当時、船崎から青方に行く道は田バリのこだん川の途中から観音山の山

道を登って青方に行く道と、船崎から大曽に出て青方に行く道があった。

 熊吉は、魚を十匹位かごに入れて、近道であった観音山を越える山道を

選んで500m位の所まで歩いていたが、なぜかその先の道がわからなくな

ってしまったのである。

 そこで右に行くか左に行くかと迷っていると、「左だ!左だ!」と誰かが言

ったような気がしたので、左へ歩いたが、行けども行けども雑木材ばかり

で、道らしい道はなく、山頂へ歩いていることに気付いたのである。

 それから、今度は山を下るように歩いたら、大曽に出たので、大曽から海

岸に沿って歩いて、青方に着いたのは午後六時頃であったが、熊吉の手足

は傷だらけとなっており、着物も破けてしまっていた。

 青方の久吉はびっくりして、 「熊吉、お前はどがんしたっかよ!」と尋ねる

と、熊吉は山道に迷ったことを話した。

 これを聞いた久吉は、 「熊吉よ、それは船崎のこだん川のカッパが魚欲

しさにお前を道に迷わせたのだよ!そんな時は魚を二・三匹投げ捨ててカッ

パにくれてやるもんだよ!」と教えたのであった。 青方で一晩泊って船崎

に帰った熊吉は、四・五日してから、また魚釣りに出かけた。

 こんどは、船釣りであったので、伝馬船(小舟) に乗って宮の下の沖合に

錨を下して、鯛釣りをはじめた。 

            

 その日は、四・五匹の鯛が釣れたが、小雨が降り出したので熊吉は家に

帰ろうと思って錨を上げようとしたところ、その錨が重くて上って来ない

のである。 「おかしかな (不思議)。海の底の岩にでもかかったのだろ

うか。」と何回も錨網を引っ張ってみたが、びくともしないので、熊吉が海

の底をよく見るとカッパが錨に抱きついていたのであった。

 熊吉はびっくりして、 「こら!お前は何ばしちよいとか!」と尋ねると、カッ

パが、 「熊吉おんちゃん。俺はこだん川のカッパであるが、二・三日前に

大雨が降った時、川から海に流されて困っているのだよ。このまま、こだん

川の河口まで連れて行ってくれんか!」と頼んだのである。

 熊吉はそれを聞いて、 「ハハーン、俺が青方に行った時、山道で騙した

のはお前だな。昔から油断すると猿も木から落ちるしカッパも川で溺れる

と言うが、カッパの川流れと言うのはお前のことたい! 俺は知らんぞ!」と

言うと、「熊吉おんちゃん!このまま海の中にいると俺はカッパの塩辛にな

ってしまいそうだよ。

 もう、いたずらは絶対せんけん、助けてくれんか。助けてくれたら海がし

けた時には、こだん川の河口に集ってくる魚ば獲って持ってくるから助け

てくれよ!」とカッパは海の底から手を合せて頼んだのであった。

 それを見た熊吉は、カッパが可哀相になり、こだん川の河口にまで運ん

でやった。 それから、カッパは約束した通り、海が荒れて熊吉が漁が出

来ない時には、こだん川の河口で獲ったと思われるボラやスズキをいつ

の間にか熊吉の家の台所に持って来ていたそうである。

      (船崎の川瀬さんの話です。)

                上五島町 民話 カッパ物語  より