かとっぽ
浅河様とカッパ Home
青方郷字浅子地帯は、「青方文書」によると、鎌倉時代(一二〇〇年)
には青方家の牧場であったとされているが、ここには「アサゴヒコノミ
コト」を祀る浅河神社があって、その石祠の中には石造りの神像と自然
石による水神様が祀られており、その建立は、嘉永六年九月十四日
奉寄進者は、前田甚右衛門 .
鉄川作太良
同 甚臓
と刻まれている。 嘉永六年といえば、今から一五〇余年前のことで
あるが、この地点は現在の青方ダムの上流に当り中野川と、三本松方面
から流れ込むコガン迫川が合流している所である。
そのために川幅も広く水量も豊かであったので、青方ダムが出来る前
には水道用水としての水源地があった所であり、川向こうには、田園や
畑、山林があるので、村人は橋の代わりに川の中に置かれた飛石を歩い
て渡って農作業をしていたが、特に雨が降ると水量が多くなるので、
この飛石を渡る時には用心して渡っていた。 昔は、子供も農作業の手
伝いをしていたので、その子供や田畑を耕す牛を連れてこの飛石を渡っ
ていると、時々、飛石を踏みはずして大怪我をしたり溺れたりする事故
が発生しているが、そのたびに十匹余りのカッパが川の中から出て来て、
「ケッ!ケッ!ケッ!ケッ!」と人間を馬鹿にしたように鳴いて喜んで
いたそうである。
そこで、甚右衛門と作太良と甚臓の三人は、「これはカッパのいたず
らである!」と気付いて、川の中を調べてみたところ、思っていた通り、
カッパが途中の飛石を引き抜いたり動かしたりしていたことがわかった
のであった。 三人は、毎年カッパのいたずらによって怪我したり溺れ
たりしたのは、カッパであったのかと思うと腹が立ってたまらず、甚右
衛門は、「作太良どん甚臓どん、どがんしたらこ奴らカッパのいたずら
を止めさせるいじゃろか、よか知恵ば出そや!」と、話し合いをしたそ
うである。 その頃、浅子地区には、この三人が代表となり、殿様から
許可をもらって、山や野原を田畑にするための開拓をしていたので、
「甚右衛門どん、我々の開拓作業も終わるが、その完成と川を守るため
に神様を祀る祠を造り、畑にはカッパが嫌がるササゲ(角豆)とヒョウ
タン(瓢箪)を植えて困らせてやろうか!」と作太良が言うと、甚右衛
門も甚臓も賛成したので、三人は早速、浅河大明神と水神様を祀る浅河
神社を建立すると共に、畑にはササゲとヒョウタンを三年間植えたので
ある。 その結果はすぐに表れた。カッパは川魚は食えても陸上の田畑
には好物のナスビやキュウリや芋などが無いので困り果ててしまったの
である。 そこである日、三人が畑仕事をしているところにカッパが四、
五匹現れて、「甚右衛門どん、作太良どん、甚臓どん、これからは人間
様にはいたずらはせんけん、ササゲとヒョウタンだけは植えないでくれ
んか!」と手を合わせて頼んだので、 甚右衛門は、「それには条件が
あるぞ!その条件の一つは、この浅子川は雨が降ると水量が増えて飛石
が渡れなくなるから、お前達は雨が降る前に山の木を叩いて我々に知ら
せることと、二つ目の条件は、干ばつで雨が降らない時、人間様は雨乞
いをするが、お前達カッパも親類である雲の上の雷様に雨乞いをするこ
とである。」 と言うと、カッパは「その条件は浅河様に誓って必ず守
ります。」と約束したのであった。 以来、この浅子付近では、雨が降
り出す前に、カッパが山の木を叩く音がコーン!コーンと聞こえてくる
と、「カッパが雨が降る合図をしているからそろそろ仕事を止めて帰ろ
うか!」と、声をかけ合って家に帰ったり、干ばつの年には、村人は小
高い山の上で麦藁や枯木を持ち寄って天に向かって大火を焚き、鐘や太
鼓を叩いて雨乞いをするが、その時カッパも水が少なくなった川から、
「雲に乗っている雷様よ!人間も我々も地には水が無くなって因ってい
るから雨を降らしてくれ!」といって、雨乞いをしたと伝えられている。
ちなみに雷様は雨を降らすことが出来るので、大昔は天神様と呼ばれ
ており、カッパも水が無ければ生きられない事と、どちらも年中裸であ
ることからして雷様とカッパは親類であるとする説もある。
(青方の鉄川さんの話です。)
上五島町 民話 カッパ物語 より