かとっぽ

     兵助とカッパ            Home


 現在、青方から奈摩に行く道は県道となって舗装されているが、中学

校の入口の右手にある三本松様から、奈摩の峠にある二本松様までの一

帯は水田が多く、青方村で一番米が作られた所である。

 昔、奈摩に行く道は、青方から三本松の山道を歩くか、または釣道川

に沿って中野川に出て、二本松に行く山道を歩き、二本松から浜熊川に

沿って下って奈摩に着いたとされている。この道の途中にある中野川か

ら二百米位、青方寄りの所には、中野の「山の神様」が祀られており、

この山の神様の下から高梨斗(たかのし)山の麓沿いには、船崎に行く山

道があったが、この二本松様と山の神様までの区間では、カッパに騙さ

れた者が多いと伝えられている。

 船崎の兵助は、兄弟が奈摩で漁師をしていたので、時々、自分で作っ

たウドンとカンコロ餅を持って船崎から山道を歩いて奈摩に行き、奈摩

からは魚をもらつて同じ道を通って船崎に帰っていた。

 ところが、兵助が奈摩に着いてみると、ウドンとカンコロ餅の数が少

なくなっていたり、奈摩からもらって帰った魚は目ん玉が抜かれていた

り、頭と骨だけが残っていたりしていた。         

 このことを村人に話したところ、「兵助よ、それ

は中野んカッパの仕業たい!今度、奈摩に行く時は

気を付けんかなよ!」と注意されたのであった。 

兵助は船崎一番の大男でしかも力持ちであったの

で、「よし、今度、カッパが出たら捕まえてやる

ぞ。」と思いながら、いつものようにウドンとカンコロ餅を持って寮摩

に行ったが、その時は何事もなかった。

 ところが、船崎に帰る時、カッパに出合ったのである。

 いつものように兵助は魚をもらったので、天びん棒の前の方に十匹、

後ろの方に十匹をぶら下げて家路を急いでいた時のことであった。

 二本松のところまでは何のこともなかったが、中野川付近まで来ると、

兵助の後ろからペタ!ペタ!ペタ!ペタ!と足音が聞こえるので、兵助

はカッパが魚を欲しくて出て来たな−と気付いたのである。

 四、五匹はいると思いながら船崎に行く山道に入ると、突然、天びん

棒の後ろが重くなったが、それはカッパが後ろの魚に飛びついたからで

あった。 兵助は「今だ!」と思い後ろを振り向くと同時に、一匹のカ

ッパを捕まえたのである。 山に入ったカッパは、頭の皿の水がないの

で、神通力を失っているため、兵助と争っているうちにカッパの手がス

ポッと抜けてしまったのであった。

 すると仲間のカッパ四、五匹が「ギェツ!ギェツ!ギェツ!ギェツ!」

と泣き声をあげながら姿を現して、「兵助おんちゃん!もう、いたずら

はせんからその手を返してくれんか! その手がなければ川も泳げんし、

川魚も捕られんようになるので助けると思って手を返してくれ!」と涙

を流して頼んだのであった。

 そこで、兵助は「一度抜けた手がつげるわけがなかろう−」と言うと、

 カッパは「フキの葉(ヨモギ)をかみ砕いてドクダミ草にのせて傷口

に当てれば簡単につがるのだよ!」と言った。

 兵助は良いことを聞いたなと思いながらかわいそうにもなって、「本

当に、いたずらせんか!」と念を押すと、カッパが約束したので、「そ

んなら、ここの山道に約束した証拠を造るから、中野川から五十斤(約

三十キロ)位の石を五個持って来て積み重ね、それを見て約束を忘れん

ようにしろ!」と言って、石塚を造り終わるとカッパの手を返してやっ

たのである。 その後、カッパのいたずらは無くなったとされているが、

兵助は村人が怪我をした時にはカッパから教えられたようにヨモギの葉

とドタグミの葉を求めて手当をしてやったので村人から尊敬されるよう

になったそうである。 また、青方神社の社誌によると、青方の村人は

この船崎に行く山道に山の神様を建立して祀ると共に、毎月二十三日に

は山の日として山仕事を休んで山に感謝したと記されている。

              船崎の原田さんの話です

                上五島町 民話 カッパ物語  より