かとっぽ

   山と川と海と道について      Home


 水は地球上に存在する生物にとって絶対に必要であり、水が無くなる

と地球上の生物は死滅してしまいます。 雨が降ると、その水は先ず山

林によって一時地下に漫透して蓄えられ、その水が徐々に流れ出て川に

注がれ、一部農業用水や生活用水となって海に流れ込みます。

 これらの水には農作物の肥料になる栄養分や魚の餅になるプランクト

ンが含まれているために、海と結びつく河口には魚が集まったり、干潟

には貝類や海草類が生息したので、昔からそれぞれの集落や村には魚つ

き保安林とか防風林といった山林が大切に管理されていました。

 青方にある釣道川は県が管理する二級河川となっており、上流には青

方ダムがありますが、昔からこの川を地元の者は「ツットン川」即ち釣

道川と呼んでおり、上流は二本松方面から流れてくる支流と郎妙叫から

流れ出る中野川とコガン迫から流れ込む川が青方ダム付近で合流して釣

道川となり青方湾に達しています。

 鎌倉時代(1192年頃)の古文書によりますと、この川があったために

青方村字中野、浅子、天神付近は青方家の所額として稲作が行われてい

たとありますが、全国の穀倉地帯には必ず大小の川があることからして

なるほどと思われます。 更に、山や川や海岸は道路と関係があります。

 昔は現代のように道路が整備されていなかったので、山や川や海岸が

道路として使用されており、例えば青方から奈摩に行く場合には、釣道

川に沿って今の青方ダム周辺まで歩き、その先は中野川の支流を経て二

本松に達し、それから浜熊川に沿って奈摩に着いています。

 青方から船崎に行く道は、横網代(現在の港町)の海岸線を歩いて大

曽に着き、大曽から山越えをして梼崎海岸に出てから船崎に着いていま

すが、海が荒れていたり満潮の時に人が通れない場合は、釣道川に沿っ

て歩いて中野の「山之神」を祀っている山道に入り、高梨斗山の麓を越

えて船崎に着いています。 更に、相河や三日の浦方面に行く場合は、

青方から釣道川の下流を渡って今は汐見町となっている小島や赤崎、塩

釜付近の海岸を歩くか、海岸が通れない場合は、赤崎からゴミ焼却場の

ある元越を登るか、又は姫神社のある山道を歩いたとされています。

 昭和のはじめ頃までの釣道川の水は主として農業用水に使われていた

ので、今よりは水量が多く、川魚であるハヤ、アユ、ハゼ、川ガニ、ウ

ナギ、手長エビ、田にはメダカやドジョウなどが生息していました。ま

た、カエル、トンボの他に水鳥としては、カモ、チドリ、ツグミ、サギ

などが飼を求めて飛来したり、下流の汐見町付近では満潮時になるとボ

ラやスズキが釣れたり、干潟では貝類やアオサ、ワカメが採れています。

 更に、川の上流で中野川が流れ込んでいる浅子や天神様の付近や釣道

橋付近のように川が曲がっている沢(水がたまっている所)は、川岸の

岩の上から飛び込む事が出来たので、当時の子供達はこの川で泳いだり

川魚を吊ったりエビやカニ、カエルやト ンボを捕って遊んだものです。

 そのために、子供が川で怪我したり溺れたりする事故が発生したので、

これを心配した親達は「ガァタロから水の中に引き込まるいなよ。」と

か「ジゴ(肛門)を抜かるいなよ。」とか「いつまでも泳がんばって早

く帰ってこいよ。」と言って注意したものです。 釣道川といった名称

は、以上のように昔は川魚を釣ったり、隣の集落(村)に行くとき、川

や海や山が道路であったので、「釣道川」と呼ばれるようになったもの

と思われますが、いまの釣道川の水が、なくなったり汚れているのは、

水道施設の普及によって、炊事・洗濯・風呂・トイレなどに贅沢に使わ

れたり、化学洗剤などが使われて垂れ流されているからです。 人間や

地球上に生存するすべての生物は、水の恵みによって生きていることか

らして、カッパも川の水が少なくなったり汚れてしまったので、今は姿

を消してしまったのではないでしょうか。

 よって、私達は自然の環境を守るために、先ず山と川と海をきれいに

するように心がけましょう。

                上五島カッパ村 前田喜七

                               上五島町 民話 カッパ物語  より