かとっぽ

     なぎなた踊り     
   


    鯛ノ浦地区に伝わる盆(15日)の伝統芸能です。起源は明らかで

   ないが口伝えによると、今から420年ほど前から伝わっていると言う。

 当初は、正月2日に行なっていたが、ある年休んだところ、流行病が起こり、

相当な死者が出たので、それからは毎年盆の15日に続けていると言ぅ。五島で

の伝染病流行は疱瘡がよく発生しており、室町時代の末期(1570)と元禄2年

(1689)がある。しかしその後も1773年、1819年、1833年、1846年、1870年

(明治3年)と癌瘡が流行しており、起涙を求めるにほ定めにくい。だが口伝

によると、1689年頃と言えるであろう。 踊りの形態は、太鼓と喋子歌に合せ

て踊り手が登場する。代表の一人が中央に進み「神仏」と呼ばれる前口上を

「エヘン、エヘン、天下泰平、国土安穏(あんのん)の御代、毎年御かれい(嘉

礼、嘉礼、佳例であろう)の神踊り、皆様御見物なされ侯。(佛前の時は「神

踊り」が「先祖踊り」となる。と述べる。前口上が済むと、太鼓と囃しに併せ

て歌詞は二番から始まり、同時に踊る。踊りは二列横隊に並んだ若者(現在は

中学生)が向い合い、四人一組となって薙刀の基本形を組み合せたような形の

舞をする。木製の薙刀で斬り結ぶ度に響く音も情緒をかきたて募囲気を盛り上

げる。踊り子の人数は何組あってもよく、多い程壮観である。 踊りの場所と

回数は、最初必ず塩竃神社の前で三回踊り、次に旧観音寺(廃寺)の跡で二回、

戦没者墓前で二回、最後は初盆の家の前で一回踊る。 この踊りは、富江町や

熊本地方などで種々伝承されているが、鯛之浦のは先祖供養のためとして又、

神仏混淆の名残りとして特徴がある。 又、囃の歌詞に特徴があり、先祖供養

と言いながら妖艶な艶事になっている。神仏の前で艶事の歌とは面白いが、口

伝にあるように初めは正月二日に行っていたとあれば、おかしくもない。考証

の必要な郷土芸能ある。以下薙刀舞の歌詩。

  薙刀舞い唄

一、アコチコロ、ベ アイノシャクワ
  アチャオヨリガ アカタノヤイタサヤ。
二、アクレ7イヮ アヌレテユルマ
  アスヤヨメゴト 7トノトヤネテマツ。
三、アネタネソワ アマクラコソシイ
  イデヤマクラガ アモノトヤユクバト。
四、アココアケヨ アヤマトチルヰヰ
  イドアアケゾバ アノボルヤハネコエ。
五、アハネコエテ アメメモコモトオ
  オチョコチョト アキソノヤツアキシヨ。
六、アキモソメノ アキノノツマヨ
  オリワケゾメノ アジシロヤカタビラ。
七、アクレアイヮ アヌレテユルマ
  アスヤヨメゴト アトノトヤネテマツ。