かとっぽ

     上五島神楽       


    長崎県山の神楽の代表的なものとしては、平戸神楽、壱岐神楽、五島神

   楽に大別されます。五島神楽はさらに上五島神楽と、下五島神楽に分けら

   れ、その起源については明らかではありませんが、明暦年間(1655年頃)

   福江藩、富江藩の藩主を中心にして編み出されたものと言われており、二

   つの神楽の芸風については、かなりの相違が見られます。上五島神楽は、

   新魚目町、上五島町を中心に歴代の神官によって伝承されていましたが、

   昭和54年に上五島神楽保存会が結成され、幅広い活動をしています。神楽

   としての特長はメリハリのきいた律動的な舞で、素朴で勇壮、神楽本来の

   清々しい魅力をもっています。以前は、40種以上の舞がありましたが、現

   在は27種類の舞が伝承されています。

 上五島地区の各神社で奉納されているのを、上五島神楽と称しているが、

現在、三十番の神楽が残っている。富江神社の古文書には、弘化2年(184

5)に百十八番の神楽が奉納された記録がある。 上五島神楽はその昔より、

各神社の祭典で氏子、住民の豊年豊漁の感謝と繁栄を神前で祈頗し、神意

をなぐさめ、和楽、神人の合一を図る目的で奉納されている。伝統ある上

五島神楽を保存し、その育成をはかるため、昭和54年に上五島神楽保存会

が絵成され、同年10月宮崎市の第21回九州地区民俗芸能大会に出演したの

をはじめ、58年8月に長崎市でのふるさと民俗芸能大会、59年5月には大分

市で開催された第一回目本岩戸神楽大会、60年10月の福江市での全五島郷

土芸能大会等に出演するなどの活躍をしている。昭和56年3月27日、長崎

県無形民俗文化財の指定を受けた。代表的な舞いとして神幣(こうべ)六

将軍、五万舞、神相撲(かんずもう)四剣(よつるぎ)山賀(やまが)潔

戒(けっかい)折敷(おしき)神通(かんず)注連舞(しめまい)獅子舞

がある。

                   新魚目町郷土史より    


 長崎県内の神楽は、最も広く分布している平戸神楽、壱岐神楽、五島神

楽に大別される。五島神楽は更に上五島神楽と下五島神楽に細別されるが、

上五島神楽は、青方、魚目を中心として伝わる神楽をもって称されている。

それらの流れは地理的なものと言うよりは、むしろ藩を異にすることによ

って細別されたと言った方が適切ではないだろうか。即ち平戸藩、福江藩、

富江藩といった領域によって成り立って来たと考えられる。そして、各々

の藩内に於て伝承された神楽も永い歳月の間における口伝に伴い多少の変

化はまぬかれ得なかったであろう。今日それらの芸風にはかなりの相違が

見られるのであるが、また似通う面も少なくないのでその根元は一つでは

なかったかとも考えられる(いわゆる平戸神楽を根幹として五島神楽がで

き、五島神楽から上五島神楽ができたと見るのである。 この上五島神楽

は素朴で勇壮で、変化に富み、高低、強弱のきいた律動的な芸風に特色が

あると共に神楽本来の清々しい魁力を持っていると言えよう。富江神社の

月川宮司家に伝わる古文書中、弘化二年の「藩主御家督御祝儀大神楽」の

記録に依ると、その舞神楽は実に四八番に及んだと伝える。往古より各神

社の祭典には氏子、住民の豊年、豊漁、無事息災の感謝と繁栄を神前に祈

願して御神意を慰め、神人の和楽、また神人の合一を計る古い伝統と歴史

をもつ神事芸能であり、太鼓、笛も統て神職や社人によって奏でられ、舞

われ、神聖視され、信仰されて今日に及んだものである。 舞手は社殿に

舞板(約一坪)を設けて舞座としている。古くは四八番の舞神楽であった

というが現在伝承されている主なものは次のとおりである。 

座祓、佐男舞、神幣、露祓、折敷舞、荒塩舞、六将軍、御幣帛、山賀、注

連舞、五万の舞、鈴舞、潔戒、将軍舞、獅子舞、紫取舞、山の太郎、扇舞、

長刀舞、山之進、豊年舞、四剣、一本剣、潮桶舞、四天舞、岩戸開、山下

舞、などである。今日神職、社人なども減少し伝承に憂いが生じられると

ころから、神職、住民有志をもって上五島神楽保存会が結成され、神楽の

保存縫承に意が注がれるょうになり昭和56年3月長崎県無形民俗文化財と

して指定を受けるに至った。